この夏に閉幕したパリ五輪は、まだ鮮明に記憶に残っていますね。
その一方で、夢の舞台である五輪出場を目前に控えながら、飲酒や喫煙が発覚し、直前に辞退することとなった19歳の選手がいました。
アスリートとして輝ける瞬間が限られる中で、不出場という「代償」の大きさと、今後に向けての課題とは何なのでしょうか。
家族や関係者はたくさんの写真を撮って思い出に残したかったでしょう。規範は分かるのですが、とても残念です。
3人の関係者に見解を聞きました。
(※2024年8月13日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)
目次
スポーツ選手に対する代償の重みとセカンドチャンスの重要性 ? 柔道家・溝口紀子さんの見解
スポーツ選手にとって、目標としていた大会や試合に出場できないことは、人生を左右するほどの重大な代償です。私自身、1992年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得しましたが、その出場までの道のりは、10年以上の努力と支えがあったからこそです。目標を逃した場合、次を目指すことが容易ではなく、選手としてのピークを逃すことはキャリアにも大きな影響を及ぼしかねません。
宮田笙子選手の五輪辞退について、私はその代償が過度に重いのではないかと感じています。規律は大切ですが、慎重な判断と段階的な指導が必要です。スポーツ選手にもセカンドチャンスを与えるべきであり、復帰のためのサポートが求められると考えています。
選手の権利保護と透明性の重要性 ? スポーツライター・谷口輝世子さんの見解
今回、日本体操協会の行動規範に違反したとして五輪出場を辞退した選手のケースが報じられましたが、こうした規範は米国の各スポーツ団体にも一般的に設けられています。米国体操協会の倫理的行動規範では、選手が安全で公平な環境で競技できる権利を守るために設けられており、罰則を目的としたものではありません。
大切なのは、こうした規範が一部の人々だけで決められるのではなく、選手も納得して守れる形で制定されることです。また、処分に対する不服申し立てが可能で、第三者の判断を仰ぐ機会が保障されていることも重要です。
今回の「話し合いで辞退」という形は、責任の所在が不透明で、処分が適切かどうかを社会全体で考える機会が失われていると感じます。透明性を高め、選手の権利を守る仕組みが必要だと考えます。
時代に即した高潔性とリスク管理の必要性 ? スポーツ倫理教育研究者・安永太地さんの見解
スポーツは、もともと野蛮な面がありましたが、時代の進化と共にルールが整備され、競技としての安全性と公平性が高められてきました。特に商業化が進む現代では、選手は試合中だけでなく日常生活でも高い倫理観や高潔さを求められるようになっています。注目度の高い競技ほどその要求は厳しく、トラブルを起こせば競技に参加できなくなる可能性もあります。
私が2021年の東京五輪前に行った調査では、多くの選手や指導者がドーピングや賭博、未成年飲酒などの行為を許容しないと回答しましたが、暴力やハラスメントなどの倫理的問題には依然として許容する傾向が見られました。今後はドーピング教育に加え、これらの問題にも重点を置いた教育が必要です。
また、指導者は時代に合った指導法を心がけ、高潔さを求める一方で、選手が困難に直面した際のリスクマネジメントにも注力すべきです。各競技団体には、トラブルを未然に防ぐための制度設計が今後さらに求められるでしょう。